自分は子供の頃、ゲーム等をほいほいと買ってもらえる家庭ではなかった。
ゲーム機を手に入れるのも、スマホを手に入れるのも、周りの人よりも毎回数歩出遅れていた。(もしくは波に乗れていなかった)
自分だけが皆のやっている物を知らない、やっていないというのは結構寂しいような虚しい気持ちがあった。
当時は喉から手が出るほど欲しい!と思っていたが、今考えれば本当にそのゲームが欲しいのか、周りの人が持っているから欲しかったのかはあまり覚えていない。(多分後者だった気がする)
結構自分には先駆者になりたい(?)という気持ちがある気がする。
自分が最初の1人になることはとても気持ちがいい。
小学生くらいの頃、Jボードというスケボの車輪が2つしかない版みたいなおもちゃに興味を持ち、周りの友達は持っていないのに購入したことがあった。
最初は一人で乗り回していただけだが、徐々に友人も興味を持ち出し、次第に地元がJボードユーザーまみれになった。それに加え、多分自分が考案した「押し合い」(相手を押しJボードから突き落とすというゲーム)が流行し、地元にはJボードブームが到来した。
当時体格の良い(太っていた)自分は押し合いで無双だった。
「押し合い考案の親兼初代王者」の称号はなんか格好よくて結構嬉しく思っていた気がする。
そんなことから、やっぱり周りが持ってるからではなくその物が欲しいと思って買う買い物が(自分にとっては)良い買い物なのかなと思う。
そう考えると、昔あまりゲームを買ってもらえなかったことはいい事だったのかなとも思ったりする。
さて過去の話は置いておいて
最近自分の研究室ではモンスターハンターライズサンブレイクが流行っている。自分はカセットはもちろん、switch本体も持っていないためこの流行りに乗れずにいる。
モンハンXXくらいまではやっていたこともあり、喉から手が出るほど欲しいとは思わないがやってみたいとは思う。
今いる環境の中で自分だけが持っていないこの感覚は、少しあの頃を思い出させた。
ただ自分も大人になってしまったもので、昔のように親の許可をもらう必要もなく、自分の手の届く範囲なら自由に買い物ができる。
じゃあ仮に買ってしまったとしよう。
買ったら友達とゲームができて楽しいと思う。しかし、ただ流行りに乗っただけの自分は本当に満足できるだろうか。
きっとこの小さいコミュニティの中で1番目の人になりたかったのではないか。
他の事をおろそかにしてゲームをするのではないか。
本当にその買い物に数万円の価値があるのか。
とか色々考えてしまう。(もしかしたら買わないことを正当化するための言い訳なのかも)
昔は買うことしか考えられなかったのに、今は買った後のことも考えられている。
ちゃんと成長できていると思う半面、小さい頃の後先考えない勇敢さみたいな何かが失われてしまっていそうで怖い。
きっと何か新しいものをどんどん生み出す人はとても勇敢な人なんだろうなと思った。
自分は勇敢でありたいかな。
小さい頃の物の与えられ方、お金の使い方ってやっぱり結構大事なのかなって思って
なんでも買い与えすぎることも良くないが、買い与えなさすぎも良くないと思った。
どちらかに偏り過ぎてしまうと偏った考えしか持てなくなってしまう可能性があると思ったから。
つまりあれだ
きっと子育てってクソ難しいんだろうなって。
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